本日は、大谷翔平のホームランボールです。
それでは、どうぞ。
DodgersBum
昨日、翔平の初回のホームランボールを“キャッチ”した。
キャッチってのは、走っていって、誰よりも先に拾ったってことだ。
それでもキャッチにカウントされる!
日本のメディアの人から何度かインタビューされたよ。
認証されてないし、ほぼ間違いなく保管して、いつか自分の子供にあげるつもりだ。
いや、君を養子にはしないぞ。
ホームランシートは最高だ。
Apositivebalance
最高じゃん。
なんで認証されないの?
キャッチせずに、視界から消えたから?
EyeFit4274
神に触れられた。
gopowergoh
おめでとう、アメージングだ。
BIGDADDYCRYPTO6900
おそらくそのボールは売りたくなるほどの価値はない。
それでもある意味プライスレスだ。
JFKtoSouthBay
左利き仲間として、よくやった!
Mr_ICBM
すっげえラッキーなやつだ!
wizgset27
いいね!
シェアしてくれてありがとう。
12dart14
最高だ。
君のHeart of the Hide(訳注:グローブ)の色がいいね。
bselko
ボールのディスプレイボックスに入れて、大谷が打った時の写真を額に入れるべきだと思う!
いつかどっちかにサインを貰えるかもよ?
drunkenfool
凹んでるように見えるんだがw
Complexity_Inc5593
大谷のホームランボールをキャッチした人を追跡して、軽く称賛するミニ谷が君を探してスタジアムを走り回ってるぞw
jlopez1017
マジでいいグローブだな、色が最高だ。
cgaroo
スタジアムのスタッフに捕まる前に逃げろ!
DL3432
すげえな。
俺はバリー・ボンズが打ったファウルボールを今でも持ってるよ。
今じゃネットが長いから無理だね。
RGRxDGR
写真の角度的に、ボールが凹んでるように見える。
凹んでたらいいな。
凹んでると言ってくれ。
Complex_Impression54
オーマイガッ!😍
すごい。
認証されなくたって、自分が分かってればそれで十分ですよね?
あぁ、でも誰かに見せる時、認証されてたほうがいいのか…。
子供にあげる時だって、信じてくれるか分からないですしw
思い出というのは驚くほど早く消えてしまう。だけど一番大切な思い出は色褪せたりしない。
カズオ・イシグロ
https://www.reddit.com/r/Dodgers/comments/1clkq7a/i_caught_shoheis_first_inning_homer_yesterday/
View Comments
まったく似てないミニ谷不快だわ
別に大谷の物まねしてるわけじゃないぞ アジア人だから勝手に大谷に似てると思ってミニ谷って言ってるだけじゃないか?
ダルビッシュの試合の時はミニビッシュと名乗ってるよ
ちなみに芸人さんです
ダパンプのイッサのマネしてチッサ(小っさ)とかもやってるよ。
楽しいじゃん^^
俺は好き
現在は11本俺の中のリトルショーヘイがやってくれてるw本田と同じく言ったもん勝ちな
呼んだ?
はい
裸 ゚д゚) ワイのゴールデンボールをキャッチしろやで!
百 ゚д゚) ぶん、ぶん、ぶん!
マスコットバットで粉々に粉砕してやるからこい!小さくて見えないから腰やら股間を打っても知らんぞ!
裸 ゚д゚) ゆ、ゆるして下さい…
チョコで例えるなら、はーさんは「小枝」
僕は「大人のチョコバット」
百 ゚д゚) 小枝は見える!奴はチョコベビー!
裸 ゚д゚) 粒やないかい!
最 ゚д゚) 珍しい…おっちゃんがツッコむんかい…
・漱石が拒絶したのは、西欧の自己同一性(アイデンティティ)である。彼の考えでは、そこには「とりかえ」可能な、組みかえ可能な構造がある。たまたま選びとられた一つの構造が「普遍的なもの」とみなされたとき、歴史は必然的で線的(リニア)なものにならざるえない。(17頁)
・しかし、このような組みかえ可能な構造を見出すことは、ただちに、なぜ歴史はこうであってああでないのか、私はなぜここにいてあそこにいないのか(パスカル)という疑いをよびおこす。(17頁)
・おそらく、こうした疑問の上に、彼の創作活動がある。理論に厭きたから創作に移行したのではなく、創作そのものが彼の理論から派生するのだ。(18頁)
『日本近代文学の起源』(柄谷行人著 講談社文芸文庫)
現代の日本文学に失われたのは、この漱石のような問いであろう。漱石にしても、西田幾多郎にしても、岡倉天心にしても、明治の先人たちには、西洋文明との緊張に満ちた関係があり、西洋文明に対する根源的な問い、自己が属するアジア・日本の文明に対する根源的な問いがあった。ところが、現代のわれわれには、それが失われている。良かれ悪しかれ、そのことが事実としてある。もしかしたら、それが敗戦後の洗脳の結果かもしれないと考えると、空恐ろしい。
夏目漱石は生涯に亘って自らのアイデンティティを確立しようと模索していたように思います。いわば若者が成長していく過程のようなもので…。
神経衰弱(今は違う名称)に苛まれているのを見かねた知人に小説を勧められ、コレが功を奏し精神的な解放に繋がったように思います。
そして明治時代の空気の中で、古き良き日本の良さと新たな知識を融合し漱石の洒脱な文章で人気を得て、それは明治から現在に至るまで日本人の通底を流れる意識を鮮やかに活写していると感じます。
理論を構築しようとしたのではなく漱石のモヤモヤとした心の吐出が、当時の多くの日本人が抱えていたモヤモヤとシンクロしたように、いや明治の日本人だけでなく現代の日本人にも、そして世界の人にも、人間に共通のアイデンティティとは何かを問いかける著作群と思っています。
だからこそ読み継がれ将来にも読み継がれていくのはないでしょうか。
そして漱石を読んだ新たな若者達が、時代時代のそれぞれのアイデンティティを模索していくように思います。好むと好まざるにかかわらず時は進みます。