Guitar Lobbyの女性メタルシンガーベスト18で、中元すず香が6位 【海外の反応】


 
 
本日は、めっちゃ長文になるから今日やると言ってたGuitar Lobbyの女性メタルシンガーベスト18って記事です。
それでは、どうぞ。


 
 
 
 
Noboru Watanabe
女性メタルシンガーベスト18で、中元すず香は6位だ。

18 Best Female Metal Singers (2021 Rankings)


 
注:というわけで上記訳を。
 
 
女性メタルシンガーベスト18(2021年ランキング)
by Christopher D. Schiebel
 
多分、現代のロックミュージックの中で最も多様なジャンルのひとつのヘヴィメタルは、1960年代後半からアメリカとヨーロッパで大成功してきた。
 
ブラックサバス、ディープ・パープル、アリス・クーパー、モーターヘッドのようなアーティストは、その輝かしいルーツを超えて遥かに拡大してきたサウンドのパイオニアだ。
そのジャンルは、最初から様々なサブジャンルや融合のジャンルが生まれてる。
ブラックメタル、デスメタル、パワーメタル、ゴシックメタル、プログレメタルのようなね。
 
何年にもわたってジャンルを定義し、変化させてきた史上最高の女性メタルシンガーは、以下の通りだ。

 
 
18位 ジャネット・ガードナー

女性グラムメタルバンドVixenの元フロントウーマンとして知られるジャネット・パトリシア・ガードナーは、他の女性メタルアーティストへの道を切り開いてくれた。
 
1962年3月17日アラスカ州ジュノーで生まれたガードナーは、4人兄弟の中で唯一の女の子として育った。
彼女は、教会のオルガン奏者でありピアノ奏者であった母の影響で、学校の聖歌隊で歌い、若くしてギターとピアノの弾き方を学んだ。
 
ガードナーは1983年にVixenに加入し、バンド仲間と共に映画ハードボディーズに出演した。
バンドは、さらなるキャリアのためにロサンゼルスに移って、ガードナーはヒットシングルEdge of a Broken Heartをリリースした後に成功するまで、ゴルフ場のプロショップで働いた。
 
2001年、バンドを辞めた後、ガードナーはブリッジポート大学に通い、歯科衛生の学位を取り、その直後に歯科衛生士になった。
それ以来、彼女はスポットライトから離れ続けたが、2012年、バンド仲間と再会し、2013年にバンド仲間の亡きジャン・クエネムンドを追悼して再結成コンサートをおこなった。
 
2017年、ガードナーは夫のジャスティン・ジェームズと一緒に作詞作曲した同名ソロアルバムをリリースした。
2019年、彼女は夫との音楽活動に専念するため、Vixenを正式に辞めることにした。
翌年、ガードナー/ジェームズ名義で、セカンドアルバムSynergyをリリースした。
 
 
17位 アンジェラ・ゴソウ

アンジェラ・ナターリエ・ゴソウは、メロディックデスメタルバンドアーチエネミーの元フロントウーマンで、現マネージャーをやってることで知られてる。
彼女は、デスメタルボーカリストとして初めてのフロントウーマンのひとりとしても知られてる。
 
1974年11月5日にドイツのケルンで生まれたゴソウは、17歳の時に離婚した正教会のキリスト教徒の両親に育てられた。
彼女はバラバラになった家族と苦しい財政状況の結果、拒食症と過食症になり、高校を卒業した後、家を出てバンドに入ることにした。
 
2000年、ドイツのウェブマガジンでギタリストのマイケル・アモットにインタビューした後、彼女はアーチエネミーに加入した。
アモットは、ゴソウがインタビューで酷いクオリティだと言ってたデモテープを彼女が彼に渡した後、すぐにバンドのオーディションを受けるように彼女に言ったのだ。
 
2002年、ゴソウは結節と診断された。
しかしボーカルセラピーを受けてすぐに回復し、今も一緒に仕事をしてるメリッサ・クロスからスクリームのレッスンを受けた。
2006年、ゴソウはテレビアニメシリーズ“メタロカリプス”のキャラクターLovona Succubosoの声を担当した。
 
2014年、ゴソウは家族との時間を増やすためにアーチエネミーのボーカリストを辞めたが、まだ関わっていられるようにバンドのビジネスマネージャーになることに同意した。
彼女は、アマランス、Obscura、スピリチュアル・ベガーズをマネジメントしてる。
 
ゴソウはアマランスの2020年のシングルDo or Dieにボーカルを提供し、その曲のミュージックビデオにも出演してる。
それはゴソウにとって約8年ぶりのパフォーマンスとなった。
 
ゴソウは近年、自分の意見や個人的な信念についてオープンだった。
そしてそれは、よくアーチエネミーの曲の歌詞に反映されてると述べた。
彼女は無神論者で、グリーンリベラリズムのアナーキストであり、ヴィーガンであり、タバコや酒をやらない。
 
 
16位 アリッサ・ホワイト=グラズ

アリッサ・ホワイト=グラズは、the Agonistの創設メンバーであり、アンジェラ・ゴソウを引き継いだアーチエネミーの現フロントウーマンとして知られる。
 
1985年7月31日にケベック州のモントリオールで生まれたアリッサは、3人の子供の真ん中で、妹はシューゲイザーバンドNo Joyのフロントウーマンだ。
彼女はベジタリアンとして育ち、1998年からヴィーガンだった。
彼女は幼い頃から動物の権利運動をしてたのだ。
 
彼女はRevolverマガジンで家族の歴史について語っていて、祖父母が第二次世界大戦中に強制収容所に入れられたが脱出することが出来たと述べている。
それは彼女の人生に大きな影響を与えた。
特にアーチエネミーの曲“First Day in Hell”に反映されている。
 
アリッサは、2004年にクリス・ケルズとダニー・マリーノと共にthe Agonistを結成した。
2014年にアーチエネミーのリードボーカルのオファーを受けて辞めるまでに3枚のアルバムをリリースしてる。
the Agonistとアーチエネミーでの成功にも関わらず、アリッサはBlackguard、Kamelot、ナイトウィッシュ、Delain、DOYLE、Angra、Carnifex、Lamb of God、Powerwolfを含め、色んなアーティストとコラボしてきた。
そして2016年、デビューソロアルバムAlissaをリリースした。
 
アリッサは、2019年のビデオゲームGears 5でSwarm Huntersの声を担当して、声優業にも携わっている。
 
 
15位 フロール・ヤンセン

シンガーでありソングライターでありボーカルコーチであるフロール・ヤンセンは、元After Foreverのボーカリストであり、シンフォニックメタルバンド“ナイトウィッシュ”のフロントウーマンとして最もよく知られてる。
 
1981年2月21日にオランダの北ブラバント州ゴイルレで生まれたヤンセンは、生物学者になることを目指して育った。
そして16歳で、After Foreverに参加し、音楽のキャリアをスタートさせたのだ。
その後すぐにオランダのロックアカデミーと、ミュージカルとオペラを学んだティルブルフのオランダの職業芸術大学に入学した。
それからヤンセンは、ボーカルコーチとして働き、After Foreverで広く成功することになった。
 
ヤンセンは、グループを辞めて、自分のバンドReVampを結成したと発表した2009年まで、After Foreverのフロントウーマンを務めた。
そのバンドは、解散するまでに2枚のスタジオアルバムをリリースした。
また、ヤンセンはその時、“Wanna be a Star?!”という自分自身の音楽コースを教えていた。
 
ヤンセンが2012年に、アネット・オルゾンがツアー中に辞めたImaginaerumワールドツアーのリードボーカルとして参加するためにナイトウィッシュに参加した後、ReVampは解散した。
彼女は2013年にバンドの正式なボーカリストとして発表され、2015年には正式なボーカリストとしての初のアルバムEndless Forms Most Beautifulをリリースした。
ヤンセンを擁しての2枚目のアルバムは、2020年にリリースされた。
 
また、彼女はオランダの作曲家でありマルチ奏者であるアルイエン・アンソニー・ルカッセンのプロジェクトAyreonでもコラボしてる。
それにルカッセンのヘヴィメタルスーパーグループStar Oneにも参加した。
 
2018年、アンドレアス・ヴァイゲルが発見した新種の甲虫類にTmesisternus Floor Jansenと名付けたことで、ヤンセンの生物学への愛は蘇った。
 
ヤンセンは2019年、オランダのテレビ番組Best Singersに関わって、クラシックシンガーのヘンク・ポートと共にオペラのファントムを歌った。
 
 
14位 オテップ・シャマヤ

ニューメタルバンドOtepのリードボーカリストでありブレーンでもあるオテップ・シャマヤは、自身の音楽プロジェクトを始めた2000年にデビューした。
 
1969年11月7日にテキサス州オースティンで生まれたシャマヤは、2002年にOtepでデビュースタジオアルバムSevas Traをリリースした。
それ以来、Otepは成功をしてきて、多くの音楽チャートに入り、最新アルバムGeneration Doomでは、Billboardインディペンデントチャートで10位、ハードロックチャートで4位、ロックチャートで7位になった。
 
2010年、シャマヤはGLAADアワードの傑出したミュージックアーティストにアダム・ランバートやレディ・ガガと共にノミネートされた。
 
2014年の映画“ホビット 決戦のゆくえ”では、シャマヤは映画に登場する多くのクリーチャーにボーカルを提供した。
翌年、彼女は正式に短編小説シリーズの第1弾Movies in My Headを出版した。
彼女は過去、Lulu.comで2冊の詩集を自費出版しただけだったんだ。
 
シャマヤは比較的プライベートを大切にしてきたが、同性愛者としての自分のセクシャリティや動物愛護や民主的な政治信条をオープンに語ってきた。
 
 
13位 レイシー・シュトゥルム

レイシー・ニコール・シュトゥルムはおそらく、クリスチャンメタルバンドFlyleafのリードボーカリストとしてに加えて、共同設立者として最も知られてる。
 
テキサス州ベルトンで育ったレイシーは、子供時代の殆どを無神論者として過ごした。
だが自殺を考えるようになってから、彼女は神について話してくれた男のいる教会に行った。
2000年、彼女は自分のクリスチャンメタルバンドを始めることを考えてて、ドラマーのジェームズ・カルペッパーと一緒にプレイし始めた。
2002年、正式にFlyleafを結成し、3年後にデビューセルフタイトルアルバムをリリースした。
 
レイシーは、自主的に多くのアーティストとコラボもしてる。
その中には、Breaking Benjamin、Third Day、Apocalyptica、Orianthi、We as Human、Love and Deathがいる。
2008年、彼女はThird DaysのアルバムRevelationのバッキングボーカルを務めたことで、第52回グラミー賞でベストゴスペルパフォーマンスとベストゴスペルソングにノミネートされた。
 
レイシーは子供が生まれた2012年にバンドを辞めて、その2年後にソロキャリアを始めた。
その時に初の本“The Reason: How I Discovered a Life Worth Living”という自叙伝も出版した。
彼女は2016年にデビューソロアルバム“Life Screams”をリリースした。
それはBillboardハードロックアルバムチャートで1位、オルタナティブアルバムチャートで7位、トップロックアルバムチャートで8位になった。
2020年、彼女はSkilletのコーリー・クーパーと一緒にシングルThe Decreeをリリースした。
 
 
12位 シモーネ・シモンズ

シンガーソングライターのシモーネ・ヨハンナ・マリア・シモンズは、シンフォニックメタルバンドEpicaのボーカリストとして最もよく知られてる。
 
1985年1月17日、オランダのフーンスブルクで生まれたシモンズは、音楽学校に入学した後、12歳でフルートを吹き始めた。
15歳の時には、ナイトウィッシュのセカンドアルバム“Oceanborn”を聴いて、クラシックミュージックのトレーニングを始めた。
そのアルバムは、現在でも彼女の1番好きなアルバムのままなんだ。
そして少しの間、聖歌隊で歌った後、シモンズはEpicaに17歳で加入した。
 
Epicaは、クリエイティブ面の違いからAfter Foreverのマルク・ヤンセンがバンドを辞めた後、彼の当時のガールフレンドでもあった無名のシモンズを勧誘して結成された。
デビュースタジオアルバムPhantom Agonyは、2002年にリリースされた。
 
シモンズは2008年にメチシリン耐性黄色ブドウ球菌感染症を再発して苦しみ、半年間、Epicaでパフォーマンスする能力を妨害した。
その後、彼女は2008年半ばに回復し、オランダでバンドと共にパフォーマンスをした。
 
シモンズは現在、SmoonStyleというライブスタイルのブログをやってる。
そのブログでは、Epicaでの経験はもちろん、食べ物、ファッション、メイクのことを語ってる。
 
Metalistマガジンのインタビューで、フロントウーマンとしての彼女のルックスがバンドにどう影響を与えるかについて聞かれたシモンズは、“まず、1番重要なのはバンドのサウンドよ。だって美しさはいつか衰えてしまうから”と語った。
 
 
11位 マリア・ブリンク

シンガーソングライターのマリア・ブリンクは、オルタナティブメタルバンドIn This Momentのクリエイティブブレーンだ。
 
1977年12月18日にニューヨークで生まれたマリアは、5歳くらいの彼女に影響を与えたローリングストーンズ、ブラックサバス、パティ・スミスなどのアーティストを初めて経験した。
彼女は、ティーンエイジャーの時にはパンテラ、M83、デフトーンズに影響を受け、マザーテレサ、ジャンヌ・ダルク、エリザベス1世からも影響を受けた。
 
15歳の時、マリアは妊娠し、自分の母親が薬物依存症を克服する助けをしながら、息子のデイビオンを出産した。
25歳で彼女はロサンゼルスに引っ越し、小売店で働きながらカフェとバーでパフォーマンスをした。
 
2年後に彼女は、女性だからってマリアをメタルシンガーにすることを躊躇ったクリス・ホワースにオーディションで出会った。
彼は2週間後に謝罪し、彼女を自分のバンドDying Starのフロントウーマンとして雇った。
そのすぐ後に、バンド名がIn This Momentに変わったのだ。
バンドは2007年以降、7枚のスタジオアルバムをリリースした。
 
今でもIn This Momentのフロントウーマンとして活動してるマリアは、“Maria Brink’s Wonderland”という芸名で、芸術家や画家を目指してもいる。
 
 
10位 エリーゼ・リード

ハンナ・エリーゼ・イザベル・マジ・ヘストブロマ・リードは、広く人気のあるメロディックメタルコアとパワーメタルバンド“アマランス”の3人のボーカリストのひとりとして最も知られてる。
 
1984年10月15日、スウェーデンのベーナムーで生まれたリードは、両親共にミュージシャンだったから、小さな頃から音楽を聴いてきた。
彼女は子供の頃、メタルミュージックとウォルト・ディズニーに大きな影響を受け、それが音楽の道に進むきっかけになった。
1998年、彼女は13歳で始めてタレントコンテストで1位になった。
1位が貰えるのはレコード契約だったが、リードは15歳という年齢制限を満たしてなかったために契約することが出来なかった。
高校時代には多くの音楽奨学金を得て、その後に舞台芸術学校に入学した。
 
リードは、スウェーデンのイェーテボリで、キャバレーパフォーマーとしてプロの歌のキャリアを始めた。
そしてFalconer、Dragonland、Dreamlandのような地元のバンドのために歌をレコーディングした。
その後、リードはDreamlandのヨアキム・ランドバーグとDragonlandのオロフ・モルクと一緒にアマランスを始めて、2009年にデビューEP“Leave Everything Behind”をリリースした。
 
リードは、アマランスの大成功に続いて、多くのバンドやアーティストとコラボもしてる。
その中には、ナイトウィッシュ、Kamelot、Renegade Five、Takidaなどがいる。
 
 
9位 クリスティーナ・スカビア

シンガーソングライターであるクリスティーナ・アドリアーナ・キアラ・スカビアは、ゴシックメタルバンドLacuna Coilのリードボーカリストのひとりとして最も知られてる。
 
1972年6月6日にイタリアのミラノで生まれたスカビアは、数多くのバンドのツアーミュージシャンになって、バッキングボーカルを提供した後、19991年に自身の音楽のキャリアをスタートさせた。
彼女はその年遅くに、Lacuna Coilのボーカリストとベーシストに出会い、バンドのセカンドボーカリストになるように誘われた。
バンドは1996年にデモトラックをレコーディングし、メタルボーカリストとしてのスカビアのキャリアをスタートさせたセンチュリー・メディア・レコードと契約した。
それ以降、バンドは9枚のスタジオアルバムをリリースし、5つの賞とノミネートを記録してる。
 
それ以来、スカビアは、ライターとしての短いキャリアも積んできた。
パンテラのヴィニー・ポールと共同で、Revolverマガジンにアドバイスコラムを書いてきたんだ。
また、彼女は多くのアーティストやバンドとコラボもしてきた。
彼女は、スラッシュメタルバンドであるメガデスのÀ Tout le Monde (Set Me Free)や、ApocalypticaのS.O.S. (Anything But Love)やルイエン・アンソニー・ルカッセンのプロジェクトThe Theory of Everythingのアルバムやイタリア映画Passione sinistraのサントラにもフィーチャーされてる。
 
 
8位 リヴ・クリスティン

シンガーソングライターのリヴ・クリスティン・エスペネスは、シンフォニックメタルバンドLeaves’ Eyesの元フロントウーマン、ゴシックメタルバンドTheatre of Tragedyのボーカリスト、“美女と野獣”のボーカルアプローチのパイオニアとして最もよく知られてる。
 
1976年2月17日、ノルウェーのスタバンゲルで生まれたクリスティンは、1994年にバックアップシンガーとして音楽の世界に入ったが、そのすぐ後にTheatre of Tragedyのリードボーカリストのひとりになった。
クリスティンは2003年にバンドを解雇され、デスメタルバンドAtrocityの元メンバーと一緒に新しいバンドLeaves’ Eyesを結成した。
 
2016年、クリスティンは自分の妹のバンドMidnattsolに入るように誘われた後、Leaves’ Eyesを辞めて、2017年に正式に加入した。
また、クリスティンは5枚のソロアルバムをリリースし、2005年にはCradle of Filthの曲“Nymphetamine”でのコラボでグラミー賞にノミネートされた。
 
クリスティンは1995年のTheatre of Tragedyのセルフタイトルデビューアルバムでの“美女と野獣”ボーカルアプローチのパイオニアだった。
Grammy.comには、“対照的な天使のような女性ボーカルと男性のグロウルや攻撃的な歌”と説明されてる。
そのアプローチは、EpicaやWithin TemptationやAfter Foreverを含めて、ヨーロッパ中のメタルバンドに使われてきた。
 
 
7位 テイラー・モンセン

2000年に公開された映画“グリンチ (How the Grinch Stole Christmas)”のシンディ・ルー・フー役やCWのテレビドラマ“ゴシップガール”のジェニー・ハンフリー役のような多くの子役のキャリアで知られるテイラー・ミシェル・モンセンは、子役のキャリアとは距離を置き、今最も人気があるハードロック/メタルバンドのひとつプリティー・レックレスの一員になった。
 
1993年7月26日にミズーリ州セントルイスで生まれたモンセンは、1997年にShake ‘n BakeのCMに起用された3歳の時にプロの役者のキャリアを始めた。
モンセンはそれ以降、Bethesdaマガジンに役者での自分の経験について説明し、“2歳の子供は働きたくなかったけど、私には選択肢がなかったの。私の人生は学校に行ったり行かなかったりだったから、友達なんていなかったわ。いつも仕事してて、本当の人生なんてなかった”と語った。
 
2009年、16歳でモンセンは自分の新しいバンドのプリティー・レックレスが、インタースコープ・レコードと契約し、ザ・ヴェロニカズと一緒にツアーをすると明らかにした。
モンセンは、Digital Spyでのインタビューで、“音楽は私が私で居られる場所なの。音楽は自分で曲を書き、あらゆるステップに関わってるから、より個人的なものなのよ”と語った。
彼女は、カート・コバーン、レッド・ツェッペリン、Oasis、シャーリー・マンソン、ビートルズを最も影響を受けたものとして挙げた。
 
バンドは翌年、デビュースタジオアルバムLight Me Upをリリースした。
そのアルバムは、収録曲が映画“キックアス”やドラマ“ヴァンパイア・ダイアリーズ”で使われたことで、すぐに成功を収めた。
 
モンセンはそれ以降、プリティー・レックレスで成功している。
世界中を幅広くツアーし、4枚のスタジオアルバムをリリースした。
最新アルバムは2021年にリリースされたDeath by Rock and Rollだ。
 
 
6位 中元すず香

ミュージシャンでありモデルでありシンガーである中元すず香は、KawaiiメタルバンドBABYMETALのリードシンガーとして最も知られてる。
 
1997年12月20日、日本の広島県で生まれた中元は、5歳の時にBANDAIの多数のCMに出演することで、女優として始まった。
彼女は、2006年にアクターズスクール広島に通い始めて、翌年、タレント事務所アミューズと契約した。
 
2008年、事務所が可憐ガールズを結成し、中元はそこに選ばれた。
そのグループは、アニメ“絶対可憐チルドレン”のテーマ曲を歌ったが、その番組が終わると解散した。
2年後、中元はアイドルグループさくら学院の創設メンバーのひとつになったが、中学校を卒業した時にすぐに辞めた。
 
2014年、同年にデビューセルフタイトルスタジオアルバムをリリースしたBABYMETALに加入した。
それ以降、BABYMETALは、Kawaiiメタルというジャンルを生み出し、世界的に成功してる。
BBCのニュースビートでは、“Jポップとヘヴィメタルの要素を組み合わせてる”と説明されている。
 
 
5位 エイミー・リー

シンガーでありソングライターでありピアニストであるエイミー・リン・ハーツラーは、2000年代前半に登場した中で、メゾソプラノのユニークな声域にゴシック調の音色とスタイルをミックスした最も影響力のあるボーカリストのひとりだ。
 
1981年12月13日にカリフォルニア州リバーサイドで生まれたリーは、家族がアーカンソー州リトルロックに定住するまで、子供時代に引っ越しをしまくった。
リーは11歳で始めて曲を書いた。(Eternity of the Remorse)
その後、彼女はクラシックの作曲家になりたくて、9年間続けたクラシックピアノのレッスンを始めた。
 
それからユースキャンプでベン・ムーディーと出会って、リーはエヴァネッセンスを結成する。
2人は、1998年にEvanescence、1999年にSound Asleepと2枚のEPをレコーディングするまで、アーカンソー中のカフェや本屋でプレイした。
2000年、リーはミドル・テネシー州立大学に行き、音楽理論と作曲を学んだが、エヴァネッセンスに専念するためにすぐに退学してしまった。
リーとバンドは、もっと長いEP“Origin”をその年遅くにリリースした。
そこには、2003年のデビューアルバムFallenに収録されたMy Immortalという曲が収録されてる。
 
エヴァネッセンスが大成功していく中、リーはソロプロジェクトや他のアーティストとのコラボにも取り組んだ。
2000年には、彼女はデヴィッド・ホッジスの曲Fall Into YouとBreatheで歌っている。
最も代表的なコラボのひとつは、シーザーの曲“Broken”での、元カレのショーン・モーガンとのデュエットだ。
その曲は、映画パニッシャーで使われた。
 
リーはそれ以降、エヴァネッセンスの世界的な成功によってオルタナティブロックやメタルシーンのレジェンドになった。
特に、ファンションアイコンになって、メタルサブカルチャーに興味を持つ若い女性たちに影響を与えている。
彼女は、自分のスタイルを表現するために自分で服をよく作ると述べたし、自分の音楽にあらゆるセックスアピールを使うことを拒否し、エヴァネッセンスの音楽やパフォーマンスを吸収する若い女性や女の子たちにポジティブなメッセージを届けている。
 
 
4位 シャロン・デン・アデル

“The Ice Queen”、“Mother of Dragons”として知られるシンガーでありソングライターでありファッションデザイナーであるシャロン・ジャニー・デン・アデルは、おそらくオランダのシンフォニックメタルバンドWithin Temptationのフロントウーマンとして最も知られてる。
 
1974年7月12日、オランダのワッディンクフェーンで生まれたアデルは、子供時代に10か国以上で暮らした。
それが彼女のダンスへの愛に影響を与えたのだ。
14歳でアデルは、ボーイフレンドのロバート・ウェスターホルトと一緒にバンドThe Portalを結成し、それは1996年にWithin Temptationになった。
ボーカルトレーニングを全く受けてないのに、アデルは1日3時間から4時間、ひとりで歌の練習をした。
 
Within Temptationが世界的に成功する前、アデルはファッションデザインの学士号を所得し、一時的にファッション会社で働いていた。
だが2001年にリリースしたシングルIce Queenが大成功してメディアの注目を浴びた時に辞めている。
彼女は今でもファッションが好きで、Within Temptationのグッズはもちろん、自分のステージ衣装もデザインしている。
 
Within Temptationでの活動が最も知られてるが、アデルは他のバンドやアーティストとコラボもしてる。
ターヤ・トゥルネンやAfter Foreverやエヴァネッセンスやアーミン・ヴァン・ビューレンやDelainとね。
それにThe Metal OperaやThe Metal Opera Part IIやInto the Electric CastleやThe Land of New Hopeを含め、メタルやロックのオペラプロジェクトにも参加してる。
 
2017年、アデルはソロデビュープロジェクト“My Indigo”のリリースを発表した。
だが当初は、個人的な問題やWithin Temptationでの作曲によるスランプに対処する手段としてプロジェクトであり、公にリリースする予定はなかったんだ。
そのアルバムは翌年にリリースされた。
 
最近、アデルは2020年のシングルUse My Voiceでエヴァネッセンスとコラボした。
それはプリティー・レックレスのテイラー・モンセンとヘイルストームのリジー・ヘイルとバイオリニストのリンジー・スターリングもフィーチャーしてる。
 
 
3位 ターヤ・トゥルネン

ナイトウィッシュの元フロントウーマンとして知られるターヤ・ソイレ・スサンナ・トゥルネン・カブリは、評論家から、凄くパワフルでエモーショナルなソプラノの声を持っていて、メタルに以上に合ってると評価されてきた。
 
1977年8月17日、フィンランドのプホスの村で生まれたターヤは、3歳にして教会のホールで歌った。
彼女は教会の聖歌隊に入り、ボーカルレッスンを受け始めて、6歳までにピアノを習った。
 
学校に通うようになった時、ターヤは学校行事では毎回歌い、音楽教師のプラメン・ディモフから、すぐにすべての音を拾えるようになったと高い評価を受けた。
だがターヤは、彼女の声や歌への想いの所為でイジメられたから、学校では不幸だった。
 
1993年、16歳で彼女はサボンリンナの芸術音楽高等学校に通った。
そこで彼女はサラ・ブライトマンと彼女のオペラ座の怪人に魅了されたのだ。
それからターヤは18歳の時、クオピオのシベリウス音楽院で学んだ。
 
3年後、元クラスメイトのツォーマス・ホロパイネンがターヤを誘い、彼のアコースティックミュージックプロジェクトに参加することになったが、ホロパイネンはターヤの声がアコースティックのムードミュージックにはパワフルすぎることに気付き、すぐにそのプロジェクトはナイトウィッシュになった。
2000年、彼女はアートソングを専門とするソリストとしての資格を得るためにドイツのカールスルーエ音楽大学に入学した。
 
ナイトウィッシュでの成功にも関わらず、ターヤは自分や夫のマルセロ・カブリとホロパイネンの関係が悪化したため、バンドを辞めた。
2005年、彼女はヨーロッパ中の多くのクラシックコンサートでパフォーマンスをして、翌年には自分の曲を書き始め、8枚のスタジオアルバムをリリースすることになる。
最近、ターヤは初の小説を出版した。
それは彼女の人生と音楽が書かれている。
 
 
2位 リジー・ヘイル

シンガーでありソングライターでありミュージシャンであるエリザベス・メイ・ヘイルは、1997年に弟のアレジャイ・ヘイルと共に共同で作ったヘイルストームのフロントウーマンとして知られる。
 
1983年10月10日にペンシルバニア州レッドライオンで生まれたヘイルは、5歳でピアノを、6歳でギターを学んだ。
ヘイルと弟のアレジャイは、1997年にデビューEP“Forecast for the Future”を、1999年のセカンドEP“(Don’t Mess With The) Time Man”をリリースした。
 
ヘイルの成功はヘイルストームから始まったが、彼女はShinedown、Stone Sour、In This Moment、エヴァネッセンス、Apocalyptica、Twisted Sister.のディー・スナイダーなど、多くのバンドとコラボして名を上げた。
 
2020年、ヘイルはAXSのテレビ番組“A Year in Music”のサードシーズンのホストになり、音楽コンテストのテレビ番組“No Cover”のファーストシーズンで審査員を務めた。
また、Revolverマガジンでは、Ask Lzzyというアドバイスコラムも書いてる。
 
最近、ヘイルは長年ギブソンのファンでありユーザーであった彼女が、2021年に初の女性ギブソンブランドアンバサダーに就任すると発表した。
過去には、ギブソンとコラボし、限定ギターLzzy Hale Explorerをデザインしたこともある。
リジー・ヘイルは、このリストのトップに値する。
彼女は史上最も有名な女性メタルシンガーのひとりだ。
 
 
1位 ドロ・ペッシュ

ヘヴィメタルバンドWarlockの元フロントウーマンとして知られるドロテ・ペッシュは、熱狂的なファンや音楽評論家から“メタルクイーン”と見做されてきた。
 
1964年6月3日に西ドイツのデュッセルドルフで生まれたドロは、10歳でピアノと歌を学ぶ前に、3歳くらいから音楽を聴いてた。
そして16歳で命に関わる結核を経験した後、彼女は音楽に一生を捧げると決めた。
ドロはその年遅くに最初のバンドSnakebiteに入った。(1981年に解散)
その後、ドロは1982年にピーター・シゲティと一緒にWarlockを結成するまっで、多くのガレージバンドでパフォーマンスをした。
 
1984年、WarlockのデビュースタジオアルバムBurning the Witchesがリリースされ、ドロはすぐにファンのお気に入りになった。
KerrangとAllmusicによると“彼女の声とステージでの存在感と共に、伝統的なヘヴィメタルとパワーバラードのミックスがWarlockを成功に導いた。男性がフロントのメタルバンドに支配された80年代のメタルシーンでの例外的な存在”だ。
 
ドロは、WarlockのミュージックビデオがMTVでローテーションされたために1980年代後半に大きな成功を収め、ディオ、メガデス、ジューダスプリースト、W.A.S.Pなどの80年代を代表するメタルバンドともツアーをしてた。
その成功にも関わらず、ドロはWarlockの4枚目にして最後のアルバムTriumph and Agonyをリリースした後、Warlockと袂を分かち、自分の名前でバンドを始めた。
 
ドロのキャリアは、それ以降40年にもなる。
自分で音楽を作り続け、最近ではコロナのパンデミックの影響で初めてドライブインコンサートをおこなったメタルシンガーになった。
彼女はNuclear Blastでのインタビューで、ライブショーへの最近のアプローチについて熱心に語り、“ファンやバンドが本当に恋しかったの。ドライブインショーは私にとって本当にユニークな経験だったし、キャリアのハイライトだったわ。また一緒にやれるのは素晴らしいわ”と言ってる。
 
彼女は、史上最も影響力のあるメタルシンガーのひとりで、After Foreverのフロール・ヤンセンのような他の女性メタルアーティストに影響を与えてる。
Kerrangは、彼女のレガシーについて“1980年代、ロックや特にヘヴィメタルバンドでの女性の存在は通常、音楽的な才能のためってより、魅力と性的搾取のためだとメディアやファンに見做されてた。ドロは数少ない例外のひとりだった:Warlockでの彼女のボーカリストとソングライターとしてのクオリティと、自分たちの音楽を売り込む献身と、セックスシンボルとしての振る舞いを避けたことが堅実なファンベースのリスペクトを勝ち取った”と書いてる。

 



 
 
Josh Higgins
このリストはゴミだ。
15位にフロールがいるんだぜ。
彼女はトップに値するっての。

 

    Razziel Megitsune Ad
    フロール・ヤンセン?
    15位?
    ありえん。
     
     
    Josh Higgins
    ↑だろ?
    彼女は余裕でTOP3に相応しい。
    俺なら個人的に彼女を1位にするね。
     
     
    Razziel Megitsune Ad
    すぅ大好きだけど、彼女は並外れてはいない。
    有能で、無害で、一貫してるんだ。
    プロフェッショナルだけど、ヤンセンより上の順位には決してならない。
    このシナリオで、すぅをTOP10に入れるのは難しいと思う。
    あと、リストにFukiはいないのか?

 
Bob Elgin
いつだって意見を持つのは良いことだ…。
究極的には、主観的なのさ。
 
 
Johan L Andersson
このリストはめっちゃ偏ってる。
テイラー・モンセンのようなシンガーが、フロールやゴソウやシモンズより上だなんてありえん。
技術的な分析ってより、好みのように思えるね。
他にもこのリストに入るべきシンガーはたくさんいる。
たとえばジル・ジェイナスみたいにね。

 

    Marek Novotka
    そのリストはジョークだよ。😂
    ちなみに、俺はテイラー・モンセンをメタルシンガーだとは思ってない。
     
     
    Johan L Andersson
    ↑うん、その通りだ。
    プリティー・レックレスはクールだけど、メタルか?
    そうは思わん。

 
Ruli Kun
俺のベスト3:
1、中元すず香
2、Su-METAL
3、すぅ様

tenofdc.gif
 
 
Andrew Lopez
>2014年、同年にデビューセルフタイトルスタジオアルバムをリリースしたBABYMETALに加入した

tenofdc.gif
 
 
Joel Crawford
確かにこのリストは酷い。
すぅが良い順位なのは嬉しいけど、未だにすぅが16歳だった時のビデオを使うとかマジなんか?
ギミチョコのビデオを延々と使うのはやめる必要がある。
 
 
Dennis Happy Hopsasa
ジャッジするのは難しい。
すぅは例外的で、俺ならこのリストに彼女を入れさえしない。
彼女はメタルグロウルや高い声と低い声をシフトしてない。
それにすぅは凄いスタミナで踊ってるし、他の17人にはないユニークなステージでの存在感を持ってる。
俺なら、すぅはマドンナと同じリストに入れるね。

 

    Joel Crawford
    すぅのボーカル能力を過小評価するな。
    ボーカルテクニックに関してすぅのやってることは傑出してる。
    すぅの発声法は、いつもほぼ完璧で極めて一貫性がある。
    すぅのブレスコントロールなんて正気じゃない。
    人間とは思えないくらいぶっ飛んでる。
    偉大なオペラ歌手でも、すぅと同じブレスコントロールのレベルにはない。
    だからこそ、すぅはあの安定したエネルギーとラインを維持できるんだ。

 
C.J. Rebel
俺的にはすぅがメタルで1位だ。
すぅはクリーンに情熱的にクリアに歌うし、ユニークなカリスマを持ってる…。
カリスマ性に関して、BABYMETALに匹敵する現代のボーカリストがいるとは思わん。
レディ・ガガもマドンナもね。
BABYMETALは俺にとって別次元だ…。
 
 
Hector Rodriguez
やった!

 
 



 
 
 
 
うん、凄いメンツだ…。
 
 

 
 

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
狂気こそ最高の英知ではないか……。白昼に夢見る者は、夜にのみ夢見る者の見ない数々のものを知るのだ。
エドガー・アラン・ポー

 
 
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