当時生きてた両親や祖父母は、79年前の原爆投下についてなんて言ってた? 【海外の反応】

 
 
本日は、両親や祖父母は、79年前の原爆投下についてどんな話をした?です。
それでは、どうぞ。


 
 
 
 
MatchPoint5
君の両親や祖父母は、79年前に日本に投下された原爆が太平洋戦争を終わらせたことについて君にどんな話をした?
俺のママは、ニュースを聞いて、もうすぐ俺の父が帰ってくると思って、喜んでた。

 



 
 
kewissman
一般的に、俺のパパや叔父さんたちは、戦争についてまったく話さなかった。
戦争体験が原因で、アル中になった人もいたよ。

 

    BreakfastBeerz
    うちも一緒だ。
    俺のお祖父ちゃんはノルマンディ上陸作戦で、上陸用舟艇の操舵手だったんだ。
    命を奪ったことあるのか聞いたら、“No”とだけ言ったのを覚えてるよ。
    そしてお祖父ちゃんが亡くなった後、日記が見つかったんだ。
    自分が関わった戦争をかなり詳しく書いてた。
    銃を撃ったとは書かれてないから、あの言葉は本当だったんだと思う…。
    でも、お祖父ちゃんはひどいものを目にしたんだ。
     
     
    JBR1961
    ↑沿岸警備隊だったの?
    興味あるんだよね。
    昔のニュース映画で見た上陸用舟艇の多くは、沿岸警備隊の人が乗ってたんだ。
    そして前に読んだ本によると、沿岸警備隊が命を落とす確率がどの部隊よりも高かったらしい。
    沿岸警備隊をいつもクールだと思ってた空軍の退役軍人として、勇敢な任務に頭が下がる。
     
     
    BreakfastBeerz
    ↑お祖父ちゃんは海軍だった。
    俺には、沿岸警備隊にいた/いる友達がいるけど、彼らも同じこと言ってたね。
     
     
    UntrustedProcess
    >沿岸警備隊
    高校時代(1990年代)、徴兵されて戦闘に行かされるのを避けるために、沿岸警備隊に入った先生がいた。
    その先生は、ベトナムで砲艦に配属されたよ。
     
     
    newlife201764
    俺のパパもアル中だった。
    19歳でユタビーチ(ノルマンディ上陸作戦の上陸地点のひとつ)に上陸したんだ。
    夜中によく叫び声をあげて、みんなを怖がらせてたよ。
    戦争のことは絶対に話さなかったね。
     
     
    Fluid-Awareness-7501
    ↑俺の祖父も一緒だ。
    ノルマンディ上陸作戦で、オマハビーチに上陸したんだ。
    1967年に自ら命を絶った。
     
     
    WatercressHead8021
    同じだ。
    俺の父は、太平洋戦争で空母の戦闘機乗りだった。
    戦争のことはあまり話さなかった。
    駐留してたこともあるけど、日本についても絶対に話さなかった。
     
     
    melcher70
    祖父は、太平洋の海軍にいた。
    1996年に亡くなった時、電気技師だったってこと以外、どこにいてなにを見たのか全然知らなかった。
    祖父が語った唯一のエピソードは、休暇でサンフランシスコに行った時、どこかで戦った兄弟たちに会えたってことだけだ。
    でもザ・パシフィックを観て、“だから全く話さなかったのか”って思ったのを覚えてる。

     
     
    Conscious-Duck5600
    ↑俺の友達に、父親が空母ヨークタウンが日本軍に攻撃された時に乗ってたって人がいたね。
    酔っ払って、そのことを俺に告白した時はかなり驚いた。
    でも、彼がそれについて話したのはそれだけだった。
     
     
    Egad86
    俺のお祖父ちゃんは、B-52が撃墜されて、ドイツの収容所にいた。
    戦争の話は禁句だったよ。
    彼のいくつかの傷跡は、彼が亡くなったと勘違いされて、仲間が彼を食べようとした時の歯形だってことは分かった。
    だから、お祖父ちゃんはナチやその同盟国にはなんも関心なかったんじゃないかな。

 
Utterlybored
俺の両親は、複雑な感情を持ってた。
ナチと日本を欧米文明に対する真の脅威と見てたし、パパは占領軍の第1陣となるために日本語を学んでた。
そしてどっちも戦争にうんざりしてたし、終わるのを心待ちにしてた。
でも民間人に使用された核の残酷な惨状を目の当たりにして、2人とも人類がこんなことになってしまったことにすごく悲しんでた。

 

    SuzyLouWhoo
    その惨状をどう見たんだろ?
    興味あるんだけど、2人は後から知ったってこと?
    今になってみれば、あれがどれほどひどかったかは分かるけど、当時はどうだったんだろ?
    俺たちのメディアは、何年も経ってからじゃないとそれを見せなかったと思う。
     
     
    Utterlybored
    ↑ジョン・ハーシーの“ヒロシマ”は、1946年に出版されてる。
    広く読まれた衝撃的なノンフィクションだ。

    https://en.wikipedia.org/wiki/Hiroshima_(book)

Wolfman1961
長崎と広島で起こったことに肯定的な意見を持つのはすごく難しい。
アメリカ人にとっては良い結果をもたらしたけど、命を落とすに値しなかった日本の民間人にとってはひどい結果だ。
俺の祖母は、ロシアからの移民だったんだ。
祖母は決して祖国の話はしなかった。
 
 
lupes-uk
核軍縮キャンペーンのバッジを付けてたら、父から“原爆がなかったらおまえはここにいなかった”って言われたことがある。
まぁ彼からしたらフェアだ…。
だって父は、原爆が投下された時、日本の鉱山で捕虜として働いてたんだ。
 
 
thatsomebull
“多くのアメリカ人の命を救った…”
当時のメディアは、すげえ違ってたってこと忘れちゃダメだ。
その世代は、物凄い影響の写真を見てないんだ。
それにパールハーバーの正当性を感じてもいた。
 
 
missbhaving77
誰もそのことは話さなかったよ。

 

    Obrina98
    昔の退役軍人は、基本的にそういうことは話さなかった。

 
simonesings
俺のパパは、日本に向かう船に乗ってた。
そして帰国するために引き返したんだ。
ママは、海軍の軍需部品工場で働いてた。
叔父さんは、フィリピンで戦った。
みんな戦争が終わったことを喜んでたと言ってもいい。

 

    kwheatley2460
    俺の叔父さんは、ヨーロッパ中で戦った後、日本に向かう軍艦に乗ってた。
    彼は喜んだと確信してる。
    そう、家族はいつも原爆が戦争を終わらせたと感じてた。
     
     
    simonesings
    ↑同じ船に乗ってたかもしれないな!

 
Salty-Jaguar-2346
俺のパパ(103歳で、まだ存命)は、1945年1月に神風攻撃で重症を負った。
パパは、航空機で向かってくる子供と目が合ったと言ってた。
8月に原爆が投下された時は、アメリカの病院にいた。
パパは、当時言われていた、日本上陸作戦のほうが多くの犠牲者を出してたって話を信じてたね。
そしてパパは、自分に怪我をさせ、34人の命を奪ったその子供を許した。
その後、パパは熱心なTOYOTAの顧客になったよ。

 

    love_that_fishing
    俺のパパの艦も神風にやられた。
    パパは甲板の砲手だったんだけど、神風は逆側に当たったんだ。
    パパは決して日本人を許さなかったね。
    治療のために捕虜を大型戦艦に乗せてたから、捕虜の扱いをそこで聞いたんだ。
    パパは、テレビも車もなんでも日本製は買ったことない。
    でも他の人たちと同じように、70代になるまでは戦争についてなにも話さなかったね。
    若い頃は猟師だったんだけど、俺の知る限り、2度と銃を撃つことはなかった。
    原爆に関しては、良い選択肢がなかったんだ。
    俺が決断する役じゃなくてよかったよ。
     
     
    Dubsland12
    ↑俺の義理の父は、日本本土に侵攻しようとしてたんだ。
    日本人を悪く言ったことはなかったけど、日本製品を買ったこともなかったね。
     
     
    missannthrope1
    >俺のパパの艦も神風にやられた
    どの艦?
    俺の父は、セント・ローに乗ってた。
    神風にやられた最初のアメリカ艦だ。
     
     
    love_that_fishing
    ↑ウェストバージニアだよ、
    真珠湾で沈められたけど、引き上げられて、再就役したんだ。

 
Rich-Air-5287
それは必要悪として見られてたよ。
 
 
Slick-62
母は、久留米の12歳の子供だった。
2つの爆心地の間にいたんだ。
母がそのことについて話したことはなかった。

 

    SemperSimple
    君のお母さんは国を離れたの?
    君は何か国語を話せるんだ?
     
     
    Slick-62
    ↑俺のパパは、1950年代に日本に駐留してたGIだったんだ。
    そこで出会って結婚して、テキサスで暮らした。
    そして俺は、子供の頃に日本語を忘れてしまった。

 
CRM114PlanR
俺の名前は、硫黄島で命を落とした叔父さんの名からとったんだ。
父は、日本が破壊されることを望んでた。
日本製のものは絶対に許されなかったね。
 
 
FerbusMcDoogal
俺のパパは太平洋で戦った。
真珠湾攻撃の前日には、真珠湾にいたんだ。
ガダルカナルの海戦で魚雷をくらった後、オーストリアで修理してる間、どれだけ楽しかったかって話以外は、なにも話したがらなかったね。
パパは、海兵隊が本土進攻のために小さな島を占領する度に支払った代償を知ってたんだ。
そしてそうしなければならなかったことを嫌悪してた。
俺たちのコミュニティには日系人の農家がたくさんいて、パパはその人たちが大好きだったんだ。
 
 
preaching-to-pervert
ママは、当時はやっと戦争が終わったってことしか考えなかったと言ってた。
ヨーロッパ戦勝記念日は、カナダ人やイギリス人にとっての戦争の終わりを意味するから、そっちのほうが遥かに重要な日だったんだ。
その日、ママは試験を受けてて、戦争が終わったって発表があって、みんな歓声をあげたことを覚えてると言ってた。
でも、その後に原爆が民間人に与えた影響についての本を読んだんだ。
我が家の本棚には、ハーシーの“ヒロシマ”があった。
そしてママは、すごい悲しみと後悔を感じたと言ってたね。
 
 
RainbowBodyWorker
朝鮮戦争の時、俺のお祖父ちゃんは中国に原爆を落としたいと考えてた。
 
 
BottleTemple
俺の祖母は恐怖して、生涯にわたって核兵器に反対してたよ。
 
 
Ok-Way-5594
祖父母は、民間人、女性、子供について俺が話しても反対してきた。
2人は、米兵の命のほうが重要だと考えてたんだ。
だけど、現代の目で過去をジャッジするのは簡単だけど、俺がその時代に生きてたら、同意するのかもしれない。
 
 
plasma_pirate
母は、真珠湾攻撃で従兄弟を全員亡くした。
それでも日本への原爆投下は悪だと考えてた。
祖父母は、暴力に100%反対してたんだ。

 
 



 
 
 
 
日本人も、殆どの人は戦争の話はまったくしないって言いますよね。
どこの国も変わらないんですね。
なにも話さなかったって答えがめっちゃ多かったです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ。
ドラえもん

 
 
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